あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしている

自己肯定感について頷ける記事があった。

gattolibero.hatenablog.com

 

僕は努力することが得意だ。

毎日資格勉強をしたり、毎日ソースコードを書いたりすることがそんなに苦痛じゃない。

でも、裏を返せば、それくらいしなければ自分には生きている価値がない、存在の証明ができない、と感じているからなのだ。

 

なんでこうなったか?

母は僕にたくさんの援助をしてくれたし、愛情も注いでくれていたと思う。

ただ、条件付きの愛情であることを感じたのは否めない。

母の中でポジティブなイメージの行動をすれば褒められたが、ネガティブな行動をすれば嫌な顔をされた。勉強やスポーツをすれば喜ぶが、ゲームやネットをすると嫌な顔をする、といったように。

父はあまり感情が出ないタイプの人であるので、僕のことをどう思っているのか正直よくわからない。なんとなく、弟のことのほうが僕よりすきなんだろうなぁ、と感じることはあった。

 

また、僕は小中学校ではいじめられる側の人で、よくからかわれていた。

内気でうまく言い返せなかったけど、こと勉強となれば上のほうに立てたので、そこに自分の価値を見出したのかもしれない。

 

今、この文章を書いていて思うのが、まず自己肯定感の低さを見つめられたこと、過去を振り返ることができたことそのものが大きな進歩であるということだ。

これまでは、なんとなく生きづらいという感情を持っていても、見て見ぬふりをしてきた。過去を受け入れることへの恐怖があった。

特に、自分がいじめられっ子だったことを受容するのには、長い時間がかかった。僕の中のプライドが認めることを許さなかったのだと今は思う。

 

 

とりあえず、文字にすることができた。

ここから自己肯定感を養えると信じたい。

いつかあるがままの心で生きられる日がきますように。